いま、服に性別があるという前提は、以前ほど自明ではない。メンズ売場に並ぶパールのネックレスやシアー素材のシャツ、ウィメンズの文脈で育ってきたブラウスやフレアパンツを自然に着こなす男性セレブリティ、サイズや身体の線を基準に商品を探すオンラインストア。こうした光景は、ほんの十数年前にはまだ「例外」か「挑発」として語られることが多かった。
しかし2020年代の現在、少なくともハイファッションとその周辺では、メンズとウィメンズの境界はかなりの部分で溶けている。もちろん、完全に消えたわけではない。量販市場には依然として明確な区分が残り、保守的な「男らしさ」回帰を求める声も周期的に強まる。
それでも、服飾史の長い流れで見れば、いったん拡張された表現の自由が完全に元へ戻ることは考えにくい。本稿では、イヴ・サンローランからアレッサンドロ・ミケーレ、そしてノンバイナリー時代の小売りの変化までをたどりながら、ジェンダーレス・ファッションがどのように業界の中心へ入ってきたのかを見ていく。
重要なのは、この現象を単なる価値観のアップデートとして片づけないことである。ファッションの世界では、どの売場に置くか、どの媒体で見せるか、どのモデルに着せるか、どのサイズ体系で生産するかが、そのまま市場の構造を決める。ジェンダーレス化は思想の流行ではなく、ランウェイ、広告、EC、在庫管理にまで波及した産業上の変化でもある。
まずは、この変化を大づかみにするために主要な節目を年表で並べておきたい。
| 年代・年 | 出来事 | 意味 |
|---|---|---|
| 1966 | イヴ・サンローランがル・スモーキングを発表 | 女性が男性服の権威を着る転換点 |
| 1970年代 | グラムロックとユニセックスの広がり | 男性服の装飾性が可視化される |
| 1985 | ゴルチエが男性スカートを提示 | メンズウェアの禁則を正面から崩す |
| 1997 | 川久保玲「Body Meets Dress, Dress Meets Body」 | 身体と性差の前提そのものを揺さぶる |
| 2013〜2015 | J.W.アンダーソン、リック・オウエンスらが実験を加速 | ランウェイで境界の曖昧化が進む |
| 2015〜2022 | ミケーレ期グッチ | ジェンダーフルイドな美学が大衆化する |
| 2019〜2020 | ビリー・ポーター、ハリー・スタイルズが大きな話題に | セレブリティ経由で一般化が進む |
| 2020年代 | 統合コレクションやノンバイナリー市場の拡大 | 制度と流通の側が変わり始める |
点に見える出来事も、並べると一つの長い制度変化として読める。
先駆者たち:1960〜70年代、ユニセックスという衝撃
20世紀半ばまで、近代西洋ファッションにおける男女の境界はかなり厳格だった。男性はテーラード、女性はドレスという分業が、百貨店の売場構成から雑誌の誌面までを支配していた。その秩序に大きな亀裂を入れた一人が、イヴ・サンローランである。1966年、サンローランは女性のためのタキシード「ル・スモーキング」を発表した。黒いジャケット、シャープなラペル、細身のパンツという男性用イブニングウェアの語彙を女性のワードローブへ持ち込んだこの一着は、社会的な規範そのものを刺激した。レストランによっては着用を拒まれたという逸話が残るほど、その衝撃は大きかった。
サンローランの革新は、「女性が男性服を着る」ことを洗練と権力の記号へ転換した点にある。マレーネ・ディートリヒやカトリーヌ・ドヌーヴがその美学を体現すると、パンツスーツは反抗の記号であると同時に、都会的なエレガンスの象徴にもなった。ここで重要なのは、性別の境界を曖昧にする行為が、もはや仮装でもサブカルチャーでもなく、ラグジュアリーの中枢で成立したことである。
同時期のロンドンでは、ストリートから別の革命が起きていた。1960年代後半のピーコック革命では、カーナビー・ストリートを中心に、男性たちがベルベット、花柄、装飾的なシャツ、ヒールブーツを積極的に着るようになる。保守的なスーツ文化に対する反動として、男性服は突然色彩と装飾を取り戻した。続く1970年代のグラムロックは、この流れをさらに過激にする。デヴィッド・ボウイのジギー・スターダスト期、マーク・ボランのサテンとラメ、ブライアン・イーノのメイクアップ。そこでは男性性は不変の本質ではなく、演出できる表面として扱われた。
とりわけボウイの存在は決定的だった。1972年の『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』期に見せた山本寛斎のジャンプスーツや、鮮やかなヘアメイク、細く引き伸ばされたシルエットは、後のファッション・イメージに長い影を落とす。彼は「男性が女性らしい服を着た」だけではない。そもそも男性的、女性的という分類そのものが舞台装置にすぎないことを、ポップスターの規模で可視化したのである。
この時代には「ユニセックス」という言葉も一般化する。1960年代末から70年代にかけて、同じデザインを男女で共有する発想が、若者文化と量産衣料の中で広がった。ただし当時のユニセックスは、現在のジェンダーフルイド・ファッションとは少し異なる。多くの場合、それは男女双方をジーンズ、Tシャツ、ミリタリー、ワークウェアへ接近させるもので、結果として「男性的な服を誰もが着る」方向へ寄っていた。それでも、服が必ずしも生物学的性別に一対一対応しないという感覚は、ここで確実に広まった。
1980〜90年代:ジャン=ポール・ゴルチエと身体の政治学
1960〜70年代が境界を揺さぶる序章だったとすれば、1980〜90年代はその揺らぎを思想と美学へ変えた時代である。最も象徴的な人物はジャン=ポール・ゴルチエだろう。1985年春夏メンズコレクション「Et Dieu créa l’homme」で男性モデルにスカート状のルックを提示したとき、彼は男性服が当然のように排除してきたシルエットを日常衣服の文脈へ戻した。以後もゴルチエは、セーラー、コルセット、ランジェリー、タトゥー・プリントなど、本来別の性役割に結びつけられていた記号を自在に横断し続けた。
1990年のマドンナ「Blond Ambition Tour」のコーンブラは、その越境性を世界的記号にした。女性の下着を鎧のように可視化したこの衣装は、女性の身体を演出と支配の主体として提示した。一方でゴルチエは、男性に対しても同じように「決められた身体像」からの逸脱を許した。鍛え上げられた男性性だけでなく、華奢さ、装飾性、芝居がかったエロティシズムもまた成立しうると示したのである。
同時代の川久保玲とコム・デ・ギャルソンも、この問題を別角度から掘り下げた。1981年のパリ・デビュー以降、黒、穴、ずれ、非対称、破れといった要素を通じて、彼女は「美しい身体に美しい服を沿わせる」という近代ファッションの前提を解体した。1997年春夏「Body Meets Dress, Dress Meets Body」で現れた膨らんだパッド入りのドレスは、身体を強調するどころか、どこが胴体でどこが肩かすら曖昧にする。ここではジェンダーは直接のスローガンではないが、服が身体の性差を整然と見せる装置である必要はない、という根本的な問いが投げかけられていた。
1990年代のヘルムート・ラングも忘れられない。彼はゴルチエのように劇場的ではなく、むしろ禁欲的なミニマリズムによって男女の距離を縮めた。ナイロン、ストラップ、細いテーラリング、工業的な素材感。メンズとウィメンズが同じ都市生活の延長に見えるような服作りは、のちにラフ・シモンズやプラダ系統の知的なジェンダー越境へつながっていく。80〜90年代を通じて起きたのは、単なる「逆転」ではない。男性が女性服を、女性が男性服を借りるという段階を超え、身体そのものをどう定義するかがファッションの争点になったのである。
さらに1990年代は、雑誌と広告写真がその変化を加速させた時代でもあった。スティーヴン・マイゼルやニック・ナイトの写真には、性別が即座に読めないスタイリングや、意図的に中性的なキャスティングがしばしば現れる。カルバン・クラインの広告が広めたアンダーウェアの視覚文化も、筋肉質な男性像を強化した一方で、少年性と成熟の境界を揺るがすイメージを大量に流通させた。ファッションは、ランウェイだけでなく広告の平面でも、男女二元論の輪郭を少しずつ削り取っていたのである。
2010年代前半:ランウェイで進んだ静かな変化
2010年代前半は、後から振り返ると決定的だったのに、当時はまだ大騒ぎされていなかった変化が積み重なった時期である。ラフ・シモンズは、ジル・サンダーや自身のメンズラインで、細く知的で、感情を隠さない男性像を提示し続けた。制服、ユースカルチャー、アートへの参照が強い彼の服は、伝統的なマッチョさとは距離があり、メンズウェアが感受性や脆さを宿してもよいことを当たり前に見せた。
より露骨に境界を押し広げたのがJ.W.アンダーソンである。2013年秋冬メンズではフリルのショーツやクロップド丈、レースアップの意匠を登場させ、男性服のシルエットに装飾性を持ち込んだ。2013年春夏に話題となったチュニック状トップスや、スカートに近いボトムの提案は、「女性的なディテールを男性に移植する」という言い方すら古く感じさせた。アンダーソンにとって重要だったのは、そもそも装飾性を女性の専売特許と見なす発想を無効化することだった。
リック・オウエンスもまた、別の方向から強く作用した。2015年春夏メンズではチュニックやローブ状の服が現れ、筋肉質な男性モデルの身体に古代的で流動的なシルエットを重ねた。オウエンスの美学は常にダークで儀式的だが、そこでは「男性だからこの形を着るべきだ」という前提が意味を失う。2015年秋冬の一部ルックで見られた露出の扱いも含め、彼はメンズウェアが隠してきた身体の脆さや異様さをあえて露わにした。
この時期、ファッションメディアの語彙も変わり始める。かつてなら「androgynous」や「boyish」といった限られた形容しか与えられなかったスタイルが、「genderless」「gender-fluid」として論じられるようになる。重要なのは、まだ市場全体が一気に変わったわけではないことだ。百貨店の売場や大手ECは相変わらず男女二元論で運営されていた。しかしランウェイでは確実に布石が打たれていた。服の形、キャスティング、スタイリング、レビューの書き方。そのすべてが、数年後の変化を受け入れる準備を進めていたのである。
ここで見落とせないのが、2010年代前半のキャスティングの変化だ。ウィメンズのショーに極端に中性的なモデルが登場し、メンズのショーでも繊細で細身の身体が以前より歓迎されるようになる。モデル個人の存在がそのままジェンダー越境の象徴になることも増えた。服のデザインだけでなく、誰がそれを着るのかという選択そのものが、ブランドの意思表示になり始めたのである。
アレッサンドロ・ミケーレのグッチ:2015〜2022年の転換点
ジェンダーレス・ファッションを一部の前衛から大衆的な視覚言語へ押し広げた最大の功労者を一人挙げるなら、2015年にグッチのクリエイティブ・ディレクターへ就任したアレッサンドロ・ミケーレだろう。就任直後の2015年秋冬メンズは、その変化の鮮烈さで業界を驚かせた。シルクのボウブラウス、レース、花柄、細いリボン、繊細なファー付きローファー。従来のグッチが持っていたセクシーで直線的な男らしさは後退し、代わりに、書庫と植物標本室とヴィンテージ・ワードローブを混ぜたような、装飾的で中性的な世界が前面に出た。
ミケーレの革新は、「男らしさ」を証明するために排除されてきたもの、つまり柔らかさ、感傷、過剰装飾、花、リボン、祖母のクローゼットを思わせるノスタルジアを、ラグジュアリーの欲望へ変換した点にある。2015年秋冬メンズのキャンペーンや、その後の2016年春夏、2017年秋冬でも一貫して見られたのは、性別が明快に読めないモデルたちと、古着的で知的なスタイリングである。そこには「女性らしく見える男性」への揶揄を無効化するだけの、圧倒的なブランド権力があった。
この影響はランウェイの外へすぐ波及した。ボウタイ・ブラウス、フローラル刺繡、パール、ローファー、ニットベスト、ワイドパンツ。従来ならウィメンズ寄りと見なされた要素が、百貨店のメンズ売場やファストファッションのスタイリングに流れ込む。ハリー・スタイルズ、ジャレッド・レト、エイサップ・ロッキーのような男性セレブリティがそれを着こなすと、ミケーレ的な装飾性は「奇抜」ではなく「いまっぽい」ものとして広がっていった。
制度面でも、ミケーレは変化を加速させた。2020年、グッチはショー回数の削減とともに、メンズとウィメンズのコレクションを実質的に統合する方針を示し、従来のカレンダーに距離を置いた。パンデミック対応という文脈はあったにせよ、その背景には、性別ごとに厳密に分けて見せる方法自体がすでに古くなっていたという認識がある。ミケーレのグッチは、ジェンダーフルイドな感性を文化的雰囲気として広めただけでなく、ブランド運営の制度まで変えうることを示したのである。
しかもグッチの影響力は、ハイファッション内部の評価だけでは測れない。香水、バッグ、スニーカー、広告キャンペーン、店舗ディスプレイまでを含めた巨大なブランド体験の中で、「男性が花柄やレースをまとう」視覚が反復されたことに意味がある。前衛ブランドなら受け手を選んだはずの表現が、グローバルなラグジュアリーの標準語へ翻訳されたことで、ジェンダーレスな装いは一気に日常へ近づいた。
セレブリティと大衆化:2019年以降に何が起きたか
ランウェイの変化が広く可視化されたのは、セレブリティがそれを日常的なイメージへ翻訳したからでもある。象徴的なのは、2019年のアカデミー賞でビリー・ポーターが着用したクリスチャン・シリアーノのタキシード・ガウンだ。上半身はクラシックなブラックタイ、下半身はベルベットのフルスカートというこのルックは、レッドカーペット史に残る一着になった。ポーターはもともと舞台とクィア文化の文脈でこうした表現を磨いてきた人物であり、この瞬間はメインストリーム・メディアがそれを無視できなくなった出来事だった。
続いて2020年、ハリー・スタイルズが『Vogue』アメリカ版12月号の表紙にソロの男性として初めて登場し、グッチのドレスにタキシードジャケットを合わせた姿は世界的な議論を呼んだ。ここで重要なのは、賛否そのものよりも、議論の土台が変わっていたことである。以前なら一過性のスキャンダルで終わったかもしれない視覚が、このときは「現代の男性性をどう考えるか」という広い議論の入口になった。保守的な反発が強かったのも、境界の変化がすでに無視できない規模に達していた証拠だと言える。
K-POPの影響も大きい。BTS、SHINee、SEVENTEEN、NCT、ATEEZなど、多くの男性アイドルは2010年代後半から、パールのアクセサリー、シアーシャツ、クロップド丈、柔らかいカラー、グロス感のあるメイクアップを自然に取り入れてきた。韓国のスタイリング文化では、欧米メディアが「男性的ではない」と驚くような要素が、むしろ洗練の一部として処理されることが多い。ラグジュアリーブランドが彼らをアンバサダーに起用すると、その美学はグローバルな若年層へ一気に広がった。
ここで起きたのは、前衛の一般化である。かつてジャン=ポール・ゴルチエが示した越境は、ある種の知識階級やクラブカルチャーの文脈で読まれることが多かった。だが2019年以降のセレブリティたちは、それをSNS時代の反復可能なスタイリングへ落とし込んだ。ネイルカラーをつける、ブラウスを着る、パールを合わせる、フレアパンツを履く。ひとつひとつは小さな変化でも、数億回の画像共有を通じて、それらは新しい常識へ変わっていった。
しかも、こうした大衆化は単にスター個人の趣味に依存していたわけではない。スタイリスト、ブランドのPR、雑誌の編集方針、SNSプラットフォームの拡散速度が連動し、ひとつのルックが数時間で世界中の購買欲へ変換される環境が整っていた。レッドカーペットで見たルックに似たブラウスやネックレスが、その週のうちにECで検索され、手頃な価格帯で複製される。この速度が、ジェンダーレス・ファッションを文化的議論から消費行動へ接続した。
ブランドの制度的変化:統合コレクションとノンバイナリー市場
ジェンダーレス・ファッションが本格的な潮流になった証拠は、単発の話題作よりも、ブランドや小売りの制度が変わったことにある。2020年前後から、メンズとウィメンズを分けずに発表する動きは明確に増えた。グッチがその代表格だが、ボッテガ・ヴェネタもダニエル・リー期から男女の視覚言語を近づけ、マチュー・ブレイジー体制でもその延長線上にある。サンローランやバレンシアガのように、公式には区分が残っていても、実際のスタイリングやキャスティングでは性差を曖昧に見せるブランドは珍しくない。
新世代ブランドでは、Telfarの存在が決定的だった。テルファー・クレメンスは早い段階から「Not for you, for everyone」という言葉を掲げ、バッグとウェアを通じて明快なノンバイナリー志向を打ち出した。ここではジェンダーレスは思想であり、極めて実務的な商品戦略でもある。誰のための服かを限定しないことで、ブランドは新しい共同体を作ることができる。Eckhaus Lattaもまた、曖昧なサイズ感、身体に沿いすぎないニット、クィアなキャスティングによって、服と身体の関係を更新してきた。
小売りも徐々に追随した。Selfridgesが2020年代に進めたAgender的な売場実験の影響は今も参照され、Dover Street Marketのような編集型店舗では、性別ではなくブランドやテイストごとに服を見る感覚がかなり定着している。オンラインでも、従来の「Men」「Women」だけでなく、「All gender」「Unisex」といったフィルターを置く動きが広がった。もちろん、物流、サイズ表記、返品導線の問題から、完全な統合は容易ではない。それでも、小売りが性別カテゴリを唯一の整理軸と見なさなくなったこと自体が大きい。
一方で、ジェンダーレス化がそのまま解放を意味するわけではないという注意も必要だ。しばしば市場は、細身で若く、特定の体型を持つ人だけを「ジェンダーフルイドで美しい」として可視化してきたとも言われる。実際、サイズ展開の乏しさや、トランス/ノンバイナリー顧客の身体に十分対応しきれていないブランドは少なくない。制度が変わり始めたからこそ、誰のための変化なのかが問われる段階に入っている。
それでも、制度が一度動き出した意味は大きい。コレクションの統合は、単にショー回数を減らす経営判断ではなく、「この服は誰の売場に置くべきか」という古い問いを相対化する。ノンバイナリー・ブランドの台頭は、周縁的なニーズへの対応ではなく、新しい市場の中心が生まれつつあることを示している。ジェンダーレス・ファッションは、もはや審美眼の問題だけではなく、商品設計、在庫管理、マーケティング、店舗体験を横断する産業上のテーマになった。
その変化を押し広げた担い手を並べると、歴史の性格がよりはっきりする。
| 担い手 | 時期 | 主な働き |
|---|---|---|
| イヴ・サンローラン | 1960年代 | 女性服に男性的権威を持ち込んだ |
| デヴィッド・ボウイ | 1970年代 | 男性性を演出可能な表面として可視化した |
| ジャン=ポール・ゴルチエ | 1980〜90年代 | 男性服の禁則をショーで破った |
| 川久保玲 | 1980年代以降 | 服が身体の性差を整える装置である前提を崩した |
| J.W.アンダーソン、リック・オウエンス | 2010年代前半 | メンズウェアの装飾性と流動性を一般化した |
| アレッサンドロ・ミケーレ | 2015〜2022 | ジェンダーフルイドを巨大ブランドの標準語へ翻訳した |
| Telfar、Eckhaus Latta など | 2020年代 | ノンバイナリー市場を制度として成立させた |
一人の英雄によって変わったのではなく、表現者と制度設計者が段階的に境界を薄くしてきたのである。
境界が溶けた先に何があるのか
2026年の現在、メンズとウィメンズの境界は消滅したというより、以前ほど絶対ではなくなったと表現する方が正確だろう。スーツ、ドレス、スカート、ブラウス、ジュエリー、メイクアップ。かつて性別に強く結びつけられていた要素は、ハイファッションにおいてはかなり自由に横断されるようになった。若い世代の消費者にとっては、まず好きな服があり、その後で必要ならカテゴリーを確認する、という順序も珍しくない。
その一方で、反動も確かに存在する。SNSでは周期的に「伝統的な男らしさ」や「女性らしさ」の復権を求める言説が可視化され、ラグジュアリー市場でもクラシックなテーラリング回帰は続いている。だが、その回帰自体がかつてとは違う。いまのテーラード・ジャケットは、ジェンダーフルイドな時代を通過した後の選択として着られているのであって、唯一の正解として着られているわけではない。これは決定的な差である。
結局のところ、ジェンダーレス・ファッションの核心は、服と性別の関係を固定的な命令から選択可能な関係へ変えたことにある。イヴ・サンローランのル・スモーキング、ゴルチエの男性スカート、J.W.アンダーソンの装飾的メンズ、ミケーレのグッチ、ビリー・ポーターやハリー・スタイルズの視覚的インパクト。その積み重ねによって、ファッション業界はようやく「誰が何を着るのか」を、規範ではなく提案として扱えるようになった。
境界が溶けた先にあるのは無秩序ではない。服が本来持っていたはずの編集の自由が、ようやく多くの人に開かれた状態である。その意味で、これから問われるのは美学の新しさだけではない。サイズ設計、試着体験、接客用語、ECの分類、広告のキャスティングまで含めて、ブランドが本当に境界の後を設計できるかどうかである。
ジェンダーレス・ファッションは、すでに一過性のトレンドではない。メンズとウィメンズを当然の前提として組み立ててきたファッション産業そのものに、再編集を迫る長期的な変化として定着しつつあり、その変化は今後のブランド史を書くうえで避けて通れない前提になる。消費者の買い方そのものも、すでにその前提へ合わせて変わり始めている。